7月日記

【しょうぶ=柳生の里で撮影】

 ●しょうぶ

 7月の花にしょうぶを選びました。梅雨の季節、しょうぶと紫陽花が全国的に人気があるようです。
 
 花しょうぶはアヤメ科の植物で、日本で改良された純国産の園芸化されたものの総称だそうです。

 かきつばた、あやめとの区別は難しいです。説明文を読んでも、決め手になるキーワードが見つかりません。

 右の写真は柳生の里のしょうぶ園で雨が降った後、撮影した白いしょうぶです。雨露がこの写真ではわかりませんが・・・。
 

【目 次】
7月1日(日)コンテストに初入選
7月2日(月)屋敷神の「声」
7月3日(火)古道を歩く
7月4日(水)カラーピットコード
7月5日(木)知人も核武装論
7月6日(金)カラスが感電
7月7日(土)散歩の日々
7月8日(日)ピースボート体験談
7月9日(月)NTTドコモの殿様商売
7月10日(火)パスポートセンター
7月11日(水)ケリ
7月12日(木)(株)初恋の人探します社
7月13日(金)Yellow fever
7月14日(土)台風接近の奈良
7月15日(日)アオバズク
7月16日(月)祇園祭
7月17日(火)近所の企業訪問
7月18日(水)フランフラン
7月19日(木)『船が出るぞツ!』
7月20日(金)再び、アオバズク
7月21日(土)セミの羽化
7月22日(日)オートシェイブ
7月23日(月)消化器の処理
7月24日(火)天神祭宵宮
7月25日(水)再び、天神祭本宮
7月26日(木)アジアカップ
7月27日(金) Yellow feveで高熱
7月28日(土)検針器
7月29日(日)二つのサプライズ
7月30日(月)新聞と戦争@
7月31日(火)新聞と戦争A


















●7月31日(火)新聞と戦争A

 故人が新聞に登場することはそう多くないと思います。供養になればと、急いで資料整理しました。これらの資料を寄贈できる戦争博物館があればと願っています。オーストラリアの戦争記念館には岡田誠三の作品が英訳されて保管されていると聞きます。日本が先の戦争を総括する意味でも、戦争博物館のような施設が必要だと思います。

 朝日新聞夕刊がない地域は1日遅れで朝刊に掲載されています。
【2007年7月21日】


●7月30日(月)新聞と戦争@

 朝日新聞の夕刊で表題の「新聞と戦争」が長期連載されています。新聞の戦争責任を自らの手で検証するという野心的な企画です。

 今、日本は憲法改正など、戦争や核保有が現実化する動きがみられます。ここで過去の苦い経験を総括して21世紀の日本の針路の論陣を張るよりどころにしようとしているように見えます。

 このなかで30日から従軍記者だった岡田誠三(実父)が取り上げられています。可能な限り資料提供して取材協力しました。故人がこのような形で新聞に登場するのは、死後はじめてのことです。お読みいただければ幸いです。

【2007年7月30日付朝日新聞夕刊】

●7月29日(日)二つのサプライズ

 久しぶりに自宅前の投票場である小学校に投票に出かけた。わが母校である。55年ほど経つが、ほとんど当時のまま雰囲気である。敷地が狭いので変化させられないのである。朝の7時半、投票に来る人はまばらである。盛り上がりを感じない。

 投票用紙に書き込みながら、マスコミは自民の大敗を予測するところもあったが、「国民は動かないだろう。自民が多少、議席を減らしても、選挙前から安倍首相に寝返る議員がでるなど、自公中心に内閣を維持するもの」と予測していた。

 安倍首相の欠点は欠点がないのが欠点ともいえたが、端正な顔立ちは女性に人気があり、選挙の顔になると見られてきた。ただ、議論の最中によく切れたのは「坊ちゃん首相の地が出たためだろう。育ちの良さのためだ」と、見ていた。と同時に人間味を感じさせないと、思っていた。

 ところが結果は37議席と、40議席を大きく割り込んだ。原因は年金問題だというが、やはりいろいろな不祥事がボディブロとしてきいていたのだろう。人の良さと優柔不断の姿勢が致命傷になったことに加えて、唯我独尊の政策にもマスコミが反発したことも大きかった。

 それにしてもこれほどの大敗はサプライズであった。開票結果に見入っている間、サッカーアジア杯の決勝戦が行われていた。いまだに戦乱の傷跡が残り、テロ活動も収まらないイラクが3連覇したことのある優勝候補のサウディを1−0で破った。これは快挙と同時に、やはり誰も予測できなかっただけに大きなサプライズであった。
 
 日本の針路はこれからが本番である。大いに関心を持ちたい。


●7月28日(土)検針器

 長期間、留守をするためにはいろいろな対策が必要である。その一つがガスや電気、水道の検針である。これまで、仮の門で自由に敷地内に入れ検針ができたが、門ができると、門の外にあるガス検針器を除いて、電気と水道は不可能となる。水道はみなし検針もでき、停止通告しておけば、基本料金もかからない。問題は電気である。
 電気は他のシステムが止まるので、停止にはできない。電力会社が通信事業もしているのだから、自動検針にしたらよさそうであるが、いまも派遣員を使って、料金請求している。雇用の問題があるのか、一向にやらない。
 営業所から調査に来て、検針器を道路側から見えるように再設置することになった。工事は関係会社のきんでんがするという。すべて分業体制になっており、責任の所在が明確でない。電力会社の体質がこういうところにも見られる。


●7月27日(金) Yellow feveで高熱

 Yellow fever(黄熱病)予防接種のことを13日の日記に書いた。これを私の後、1週間後に女房が受けたところ、この日の夜、高熱を出して苦しみだした。検疫所でもらった注意事項のなかに、発熱、腰痛が起こる人もいるとはあった。

 ただ、身近で起こると、大変な思いをする。薬を服用できないので、頭を濡れタオルで冷やすしかない。深夜まで冷水で冷やし続けた。前兆として、注射のあとが赤くはれ、背中や足に痛みを覚え、むくんでくる。看病の効果があったのか、朝方にははれも引き、熱も平熱に戻っていた。
 アレルギー体質の人は要注意だと思った。

●7月26日(木)アジアカップ

 サッカーのアジアカップ杯が終わった。今回は予選から大半の試合を見た。主催国のヴェトナムなどの活躍が目を見張った。決勝トーナメントで前回、ワールドカップで敗れたオーストラリアにかろうじて勝った。この段階でオシム・ジャパンは勝利を手中にしたと多くの人たちが思った。私も今年の日本チームは強いと感じていた。
 ところが、準決勝の日本はサウディアラビアを相手に動きが鈍く、3−2で敗れた。オーストラリアで精力を使い果たしてしまった印象であった。韓国もイラクに敗れ、日韓で3位決定戦が行われる。

 このチームでアジアを制することができないと、ワールドカップでの勝利は遠のくに違いない。おそらく監督の責任問題が浮上してくるだろうが、やはり日本選手の精神的な弱さが敗因でである。

●7月25日(水)再び、天神祭本宮

 この日、どうしても花火を撮りたくて天神祭本宮に出かけた。昨日の宵宮と違って、人出はすごい。6時半に
源八橋の上に到着、すでに欄干には人が張り付いて動かない。

 7時半過ぎ、天満橋側から小型の花火打ち上げが始まった。続いて源八橋側から大型の花火が上がった。この繰り返しが2時間近く続く。橋の上は身動き一つできない。「病人を通してあげてください」と、警察の声がスピーカーを通して流れるが、見物人はどうしようもない感じだ。
 事前に通路を確保しないと、大きな事故が起こったときは、パニック状態になる。

 花火に精通している友人は「大阪の花火はなにわの花火(十三)が一番、天神祭はダメです」と、言う。確かに花火の種類も少なく、ワンパターン化している。「関西では、琵琶湖の花火がいい」とも。「今年は秋田の大曲花火を見に行きます。ツアーで予約ができました」と、花火が好きな人なら一度は見たい花火だそうだ。

 写真は大阪城、半月を入れて撮影したが一枚も満足のできるものは撮れなかった。花火撮影は難しい。

●7月24日(火)天神祭宵宮

 この日、天神祭の宵宮である。現役のころは社屋から眺めたことはあるが、川辺まで足を運んだのは久しぶりであった。だいたい、天神祭はどこで見るのがいいのだろうか。もちろん、船からが迫力がある。陸ではJR桜ノ宮の近くの源八橋の上からがいいように思う。

 宵宮は船も花火もない。船能をホテルの泊り客に見せていたのを帝国ホテルの前の階段で見られる程度であった。この日、写真撮影のため、大型の三脚を持参したが、本宮の日には持ち込み禁止とあった。

 幸い、この日は三脚を使って川面に映るネオンの光を撮ったが、すばらしい写真となった。人も比較的少なく、ホテルに隣接する建物の地下の居酒屋をはじめ、レストラン街は閑散としていた。帰りの電車で隣の席に座った浴衣を着た女の子たちに「花火が見られないのに、なぜ天神祭?」と聞くと、「明日は来れないの」という。私のように間違ったわけではない。

 

●7月23日(月)消化器の処理

 20年ほど前、消化器メーカーに勤めていた友人が、キャンペーンということで家庭用消化器を売り込んできた。その時は、処理について考えも及ばなかった。ところが、旧い消化器は爆発の心配がないのか、気になり、市の大型ゴミ処理係りへ電話すると、「消化器は扱えません。業者に相談してください」という。

 メーカーの消化器部門に電話すると、販売代理店で対応するというので、電話番号を教えてくれた。1週間経っても来ないので、催促の電話をしたら、10日目ぐらいに取りに来てくれた。近くに来る用事がないと、1台の消化器のためには、来てくれない。

 自分で代理店まで持参すると、引き取り料700円だが、来てもらうと1,050円かかる。「消化器は寿命が7年、中身は10年で交換しないと役に立ちません。あまりに旧いと爆発の危険もあります」と、業者の担当員は説明する。消化器を使わずにすんだことは良かったわけだが、あとの処理まで考えないと、要らん心配をすることになる。

●7月22日(日)オートシェイブ

 月に1度のパソコンクラブである。新しい女性会員が3人入ってきた。総勢15人の中で、男性は5人ほど。シニアの世界はどこも女性が圧倒している。

 この日はオートシェイブを勉強した。普段、これを使うことはないが、このことによってパソコン機能をより知ることができる。おそらく、これにはまると、時間の経つのを忘れてやってしまいそうである。


●7月21日(土)セミの羽化

 セミの羽化の観察に出かけた。子どもの頃に見た記憶があるが、ハッキリと思い出せない。その頃、たくさんいたニィニィゼミがまったく見られなくなり、クマゼミが大繁殖している。アブラゼミも少なくなっている。ツツクボウシ、ミンミンゼミも激減している。温暖化や酸性雨など環境の変化のためだろうと思われる。

 実はセミの専門家はおらないようで、セミの生態があまり知られていないそうだ。セミは地中で脱皮を繰り返しながら、6〜7年おって、夏のこの季節に地上に出てくる。夜の7〜8時ごろ、木に登って約30分〜1時間かけて羽化する。その瞬間は幻想的で美しい。

 羽化したセミは翌朝、飛び立ち、子孫を残すため相手を求め、卵を枝に産み付ける。それが地中に落ちて、6〜7年、地中で育つ。セミの世界も人間の世界も繰り返しである。


【アブラゼミが羽化した瞬間】


●7月20日(金)再び、アオバズク

 21日の朝、散歩で枚岡神社のヤマモモの大木でアオバズクを見た。カメラマンが500mmの望遠で撮っていた。つがいと子どもの3羽がいると教えてくれた。今回、子どもが、肉眼でも十分、見られる至近距離に止まっていた。
 親子ともほとんど動かず、目を閉じていた。

 15日の日記にアオバズクのことを載せたら、堀氏がメールと写真を送ってくれた。さすがによく撮られています。
 「岡田様
 偶然ですね。今日、私もアオバズクを見に京都へ行きました。先週もやはり見に行った所、来週だったら子供も見れるだろうと。残念ながら、私は巣から顔を出す子を撮れませんでした。じっと待っていたら撮れたかもしれませんが。写真は先週撮った親と今日撮った親です。1がオス、2が雌らしいです。」

 
【アオバズク♂=京都で堀氏撮影】

●7月19日(木)『船が出るぞツ!』

 ピースボートについて情報を集めるため、図書館で検索。府立の図書館には、数冊、体験記のようなものがある。それらはいずれ読むことにして、近くの市立図書館にあった『船が出るぞツ!!ーピースボート90日間地球一周航海へ』(1990年発行)を読んだ。

 衆議院議員の辻本清美さんがまだ学生時代、ピースボートを立ち上げる初期のころの話である。これを読むと辻本清美さんのようなキャラクターの人物でないと、できなかったと思う。よくぞここまで育ったものだと感心する。
 それにしてもピースボートのパンフレットには、活動の紹介はあっても、代表者の名前などがない。説明会で聞くと、NGOで完全独立型の組織だという。代表者は事務局長という呼称だそうだ。いずれにしてもピースボートの運営状況について調べてみたい。

 単純に計算して、乗船人数1,000人、うち、有料人数800人として1人200万円として16億円の収入。年3回実施して48億円。経費9割としても利益4〜5億円、仮にこの半分だとしても2〜3億円の純益があるのだろうか。優良企業である。しかもNGOだから税金が免除されているとしたら、たいしたものである。スタッフの顔を見ていると、みんないきいきしているのも、うなずける。



●7月18日(水)フランフラン

 「フランフラン(Framcfranc)」と聞いて分かる人は、若い人についていけます。私は30,40代の女性2人と分譲建設の企業へ取材に行った時、初めて知りました。このブランドを知らないと言いましたら、二人から軽蔑の笑いを投げかけられました。

 「フランフラン(Framcfranc)」は東証1部上場企業で、もともと輸入インテリア家具を扱っており、この家具に似合う住宅も手がけています。この住宅は「おしゃれ」がキーワードで、若い人向けに売れているそうだ。ただ、一般の建売住宅より、かなり割高です。

 100棟前後の分譲住宅が並ぶと、日本と違った町並みが出来上がります。これがハイカラな港町・神戸ならすばらしいと言ったら、担当者は「神戸は土地価格が高くて建てられません」と、震災後に大幅な値下がりをしたが、それでも大阪の郊外より高いそうだ。

 住宅も機能に加えて、デザインで売る時代のようだ。


●7月17日(火)近所の企業訪問

 この日、以前から約束していた不死鳥のごとく蘇った地元でモノづくりしているP社を訪問した。自宅から徒歩で25分、住宅地の中にあった。近くの工務店が所有する物件で、軽量鉄骨の2階建て。クリーンルームも備えている。

 P社はバブル時代、脚光を浴びたが、その後行き詰まり、一時は路頭に迷う辛酸をなめた。そして雌伏5年で、独立、再スタート、その後、移転、今回、3度目の移転である。再スタートから12年が経過、売上6億円、社員10人で利益を計上できるまでになった。

 新たに進出した携帯の重要部品を組み立てる機械装置で躍進している。イコールパートナーとなるため、自社ブランドにこだわっている。どこもが手づくりの工程であったが、「時間(倒産後だから、十分あった)とアイディアで取り組んだおかげです」と、自社開発の装置である。下請けでないから利益率はきわめて高い。

 「新しいものというが、結局、発想です。専門家はどうしても視野が狭くなりますが、全体を見ながら発想すれば、他社にないものができます」と、まだ40代の社長は未来をにらんで経営にあたっている。4時間も話し込んでしまった。

●7月16日(月)祇園祭

 昨日は、祇園祭に出かけました。午後2時から夜の9時近くまで四条烏丸通りを中心に徘徊しました。この日は宵山で山鉾が並んでいました。時折、小雨が降るため、覆いがかけられていたのが、残念でした。

 近くにおりながら、これほど長時間、祇園祭を見たのは初めてです。歩行者天国として車道が開放されるのは午後6時からですので、それまでは狭い歩道をすし詰め状態で歩きました。

 写真のテーマに「祭」を選び、最初のトライでした。撮影という眼で祭を見ていますと、いくつも興味深いスポットがあり、時間の経過を忘れてしまいます。ただ、最近は肖像権や個人情報の保護から撮影が難しくなってきました。次は天神祭に挑戦です。

●7月15日(日)アオバズク

 台風一過のあとの空は美しい。この日も早朝、生駒山を散策。山道には昨日の台風4号のため、小枝や木の葉が爪あとのように道に散らばっていた。山から見た大阪平野はいつもよりきれいで、遠く明石大橋まではっきり見えた。
 いつも枚岡神社にお参りして帰るが、この神社の階段の脇の大きなヤマモモの木にフクロウの仲間のアオバズクがいるというので、見ていたが、一度もお目にかかれなかった。ところが、この日、親が飛び立ったあとに子どもと思われるアオバズクがじっと木に止まっているのを見た。
 なにか、すばらしいものに会った気持ちになった。

●7月14日(土)台風接近の奈良

 台風4号が接近するなかで、奈良に写真撮影にでかけました。雨の降る奈良はいいのではと、思ったからです。鹿は青草を食べていました。浮見堂から春日神社を回りました。ただ、風が強いので、時折、よこなぐりの雨がカメラにあたりますので、撮影には苦労します。結局、大半はゴミ箱行きのものでしたが、今後の撮影には参考になります。

 さすがに、奈良公園は土曜日なのにほとんど人がいませんでした。それでも人力車に乗って観光している人もいました。近鉄・奈良駅のスターバックスで休んでいると、「台風が接近しています。列車を止めることにご理解ください」と、構内放送が流れました。このため、早々に引きあげました。帰宅後、雨戸を閉めるなど、台風に備えましたが、幸いそれほど強風にさらされることなく、夜があけました。

 
●7月13日(金)Yellow fever

 この日、大阪検疫所に初めて出かけた。大阪港の近くの合同庁舎にある。Yellow fever(黄熱病)予防接種を受けるためである。大阪はここでしか受けられない。週1回、それも本人が事前予約しなければならない。印紙代8,530円を近くのタバコ屋で購入して5Fの検疫所に上がる。午前11時、約10人の男女、若者〜シニアまでいろいろ。

 申し込み用紙に記入すると、番号札を渡され、順番を待つ。すぐに呼ばれた。
 「ピースボートですか。いいですね」と、女医が話しかける。「イヤー、大変です」、「何が?」、「船酔い、それに期間が長いので忍耐力が求められます。年ですから・・・」
 看護婦が申込書を見せて年齢を確認して「まだ、年ではありませんよ」と、笑う。
 「黄熱病といえば、あの野口英世が発見したワクチンですか?」
 「そうです。黄熱病の治療法はありませんから、これがなければ、大変ですよね」
 「伝記で読んだことはありますが、お世話になるのは初めてです」
 このワクチンは10年間、免疫効果がある。アフリカ、南アメリカなどに多くの患者がいて、蚊を媒介にしてうつる。このワクチンを受けて黄熱病になった日本人はゼロだそうだ。
 注射はすぐ終わる。待合室で30分ほどいて、どうもなければ引きあげる。10日間後になにもなければ、その後10年間、免疫が持続する。この証明書がないと、寄港地のケニアに入れない。


●7月12日(木)(株)初恋の人探します社

 初恋という言葉、いいですね。どれが初恋か分からないほど、恋をした人がいるかも知れません。消息が分からないが、あの人にもう一度、会いたいという思いは誰にでもあるのでしょう。その願いをかなえてあげよと、立ち上げた会社が(株)初恋の人探します社です。いわば、興信所のようなものと思いますが、社名がいいです。

 この代表である佐藤あつ子女史は、かなりの傑物だと思います。私の記憶に間違いがなければ、学生運動華やかしころ、女性闘士として活躍されました。何度か、お会いしましたが、恋する乙女のイメージではなかったような気がします。女史の主宰する異業種交流会の名称が「ロマンの会」というように、どこまでも恋に通じるのです。
 最近、以下のようなメールが届きました。興味のある方はぜひ、ラジオのスイッチをひねってください。

 「さて、過日7月3日に出版されました弊社代表取締役、佐藤あつ子著『もう一度会いたい−思い出の人、さがします』(草思社)が、毎日放送ラジオ(1179khz)「 ありがとう浜村淳です」で来週7月16日より一週間、ラジオドラマとして取り上げていただくことになりました。お仕事中のお忙しい時間帯ではございますが、連日午前10時過ぎあたりに6〜7分、ドラマ化され放送されますので、お時間が許せば是非お聞きください。
 よろしくお願い申し上げます。 (株)初恋の人探します社」


●7月11日(水)ケリ

 堀さんが珍しい野鳥の写真を送ってくれました。野鳥だけでなく、全体の光景がすばらしいです。

 「岡田 様 御無沙汰しています。
 近場の公園ではほとんど野鳥が観れなくなりました。サキ゛やバンの水鳥くらいです。シジュウカラやメジロはいますが。今日、篠山の田でケリを観ました。集団でいるとのことですが初めてみました。望遠レンズが無く近かずけるだけ近がずいたら逃げられました。丹波、篠山、亀岡を回って帰ってきましたが観れたのはここだけでした。」


【右側の集団でいるのがケリだと思われます】


●7月10日(火)パスポートセンター

 久しぶりにパスポートセンターに出かけた。平日の午後2時半ごろで、整理番号499であった。海外渡航の人が多いことを改めて知った。

 最近、申請した人はご承知だろうが、写真の規定が細かい。自分のデジカメでプリントしたが、寸法合わせが結構、難しい。「あなたの顔が大きすぎますので、これでは頭が切れてしまいます」と、指摘され、近くの証明写真ボックスで撮り直した。この操作も初めての者には難しい。枠いっぱいに合わせないと、うまくいかないことは、プリントして持っていったら、「少し拡大しますが、よろしいですか」と、言われたことで、分かった。

 この写真代が600円もする。安いか高いかは、自前の写真プリントの環境で判断するしかないが、私には高くつくと思えた。しかも、写真の出来栄えは良くなく、持前の映像の方が本人に近いのに、係りの人はモノサシで大きさだけで判断している。縮小とか、拡大すると言われても、いいのか、悪いのかは分からない。面倒なので、お願いしますということにした。これが現地で、引っかかるのかどうか、私のこれまでの経験ではそこまで厳密に見ないだろうと思う。いまはICタグで情報を管理しているので、パソコン処理ですますのではないか。ただ、テロがかつてに比べて多いので、厳しくなっているかも。

●7月9日(月)NTTドコモの殿様商売

 NTTドコモは殿様商売をしている。圧倒的なシェアを背景に強気の姿勢が感じられる。携帯は一度、契約して、利用期間が長いほど割引率が高い仕組みになっている。したがって番号移動が自由になっても、なかなか他社へ切り替えられないのである。

 携帯の料金ほど複雑で分からないことはない。携帯そのものの価格もショップ店によって違うし、店員に聞かないと、いくらかは分からない仕組みである。1円とある機種は新規客向けの価格という。旧タイプのムーバーよりFORMAのメール1文字送信料金が割安になっており、FORMAへの切り替えを促している。切り替えると、切り替え料金が発生する。だいたい、店頭の機種の大半が入荷待ちになっており、いつ、入荷するか分からないという、ふざけた商売である。素人客に対しては、偉そうな態度の店員が多い。

 とにかく、こんな商売をしているのは携帯業界だけである。最近、「家族をひとつに!」というチラシを大々的に配っている。これはソフトバンクが家族通話を無料にしたことへの対抗策であろう。敵は無料なのに、最大手のドコモは半額で十分だと言っているように見える。ことほどさように、携帯商売に腹が立つことが多い。早く、携帯が不要な生活になりたいものだ。

●7月8日(日)ピースボート体験談

 日曜日にピースボートの体験談を聞く機会があった。男性69歳のMさん、女性(推定50前後)のKさんのお二人。お二人とも率直に語られ、参考になった。

 まず、ピースボートを知ったきっかけは、お二人とも街のポスター(参加者の多くは新聞で知った人が多かった)だそうだ。はじめは胡散臭いところではないかと、疑念を抱いたようだ。第一、ジャパングレースという旅行代理店の名前を聞いたことがない。世界一周のクルージングにしては安すぎる。お金を振り込んだ後、倒産してしまうのではないかなど、初めて行く人にとっては、一番知りたいところである。

 そういうことではあったが、実際乗ってみて、どうだったかという感想は参加者を十分、満足させてくれた。Mさんはもともと旅行好きで、思い切って1人(全体の7割が1人旅)で出かけたそうだ。65歳で初めて南回りを行き、二回目は北周りでも出かけた経験があるという。もう一度、行きたいそうだ。

 Kさんは庶民的な雰囲気の女性で「これまで働いてきて、何か残すものがないか」と、世界一周に挑戦することにしたそうだ。世界一周といえば、お金持ちの行く船旅で、庶民には手が届かない夢のまた夢のことだと思っていた。ところが、ポスターを見ると、自分でも行けると思ったが、ピースボートについては半信半疑であった。

 とにかく、観光、ゆったりした時間、買い物だけを目的に決意した。知人からはうらやましがられたそうだが、「実際は健康、お金、4ヶ月間、留守にすることなど不安ばかりで頭が一杯だった」そうだ。旅行中、自分は何もできなかったので、せめて体験談をボランティアでやってほしいと頼まれ感謝の気持ちで、すでに6回もしているという。実に、話がうまく、その気にさせる。


●7月7日(土)散歩の日々

 最近、毎朝、午前6時半前後、食事のあと、生駒山の中腹まで登っている。標高250m程度、約1時間かけて歩いている。途中で会った人たちと、あいさつする。顔見知りの人もできる。

 老犬の介護を続ける人もその一人である。17年犬(人間で言えば、100歳を超えている)の腹に晒しを巻いて、首輪の綱と二つをにぎりながら、散歩している。老々介護が言われているが、犬についても同じことが起きている。、一方で、犬を足蹴りし、泣き叫ぶ犬を自転車でひいて犬虐待の若い男を家の小窓から見たときは、胸が詰まった。

 それにしても山に来るのは老人ばかりである。

●7月6日(金)カラスが感電

 夕方、6時ごろ駅で電車を待っていたら、突然、高架線でパンと大きな音と火花を発して、一羽のカラスが急転直下、落ちてきた。感電したのだ。鳥は感電しないと思っていたので、驚いた。架線が故障しているのでは?と、想像した。駅にいた数人は、「こんなの初めて見た」と、口々に話している。落下地点のそばで見た女性が駅員室(非正社員1人の駅)に知らせに行った。

 駅員は対面の駅員にも電話で知らせ、二人で驚く様子もなくそれぞれのホームから現場にめんどうくさい思いを感じさせるような疲れた歩きようで見に行った。ホームと線路の間に落ちたカラスをあっけにとられたのか、しばらく呆然と見ていた。終始、二人とも沈黙のままで、とくに列車を止めるる必要がないと判断したようだ。数羽のカラスが死体の上を旋回して、同僚の死を悲しんでいるかのように大きな声で鳴いていた。帰りに見ると、カラスはかたずけられていた。これって、生ゴミだろう、か。

 カラスは色が黒く、ゴミ袋を食い荒らすので日ごろは、嫌われている。これだけカラスが身近にいても、カラスの死体にあまりお目にかからない。
 以前、一心寺で、「カラスは賢い鳥です。老衰すると、巣に戻り、近親者(鳥)が見守る中で静かに死んでいきます。だから、カラスの死体にはめったにお目にかからないのです。人間よりカラスの方が死体を大事に扱います。いまや、人間はカラスにも劣るのです」と、お墓参りに来た人たちに説教していたことを、境内のスピーカーから聞こえてきたことを鮮明に覚えている。(合掌)

●7月5日(木)知人も核武装論

 先日、旧友2人と一献傾けた。そのうちの1人が「日本は核武装しないとダメだ。外交をうまくやるためにも絶対、必要だ」と、主張しだした。
 かなりの見識を持っている人でも、こういうことを言う人がいる。北朝鮮がテポドンの発射実験をしたり、原爆実験をしたので、政治家の中にも核武装論を唱える者が出てきているのだから、情報の少ない大衆がそう思っても不思議ではない。

 北朝鮮とは拉致問題をはじめ外交で手詰まり状態だから、核武装したら進展すると考えるようだ。一昔前、仮想敵国だったソ連との関係においても、同じ感情を抱いた人は多かった。ソ連の体制が崩壊、日本人は安堵した。ところが、北方領土の返還は進展しない。これまでの歴史のなかで領土問題がすんなり解決した例がない。時間がかかるし、外交は妥協の産物で、体制の問題ではない。

 「貴方は日本が核武装するのに、どれだけのカネが必要だと思う?、年金すら崩壊しかけている日本で軍事費が数倍増えたら、一般大衆はさらに苦しまなければなるまい。その覚悟があるのだろうか。
 だいたい、核武装して外交上、優位に立てるというのは、幻想ではないか。インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が核武装しているというが、それらの国民はどれほど苦しんでいるのか、とても国民に役立っているとは思えない」
 このような反論を試みたが、馬耳東風であった。その夜、久間防衛相が「原爆投下はしょうがない」と発言したことで、辞任したと発表した。日本が唯一の被爆国で、あの地獄の苦しみを決して世界の誰に対しても与えてはならないという思いが、日本の使命感でなければならない。そのことをこの防衛相発言からは微塵も感じ得ない。


●7月4日(水)カラーピットコード

 知人からメールが届いた。ICタグを紹介してくれたYさんである。今度は、カラーピットコードを扱うことになったので、見に来てほしいということで、出かけた。これはカメラメーカーが開発したもので、Yさんの会社では、メーカーと提携、これから用途開発するという。

 カラーピットコードはICタグのようにたくさんの情報が入力できないが、色の組み合わせで0,1と同じ記号として簡単に認識できる。紙に印刷できるので、例えば、渡り鳥の研究で足にこれを貼るだけで、読み取り機(2Km先まで見える)その鳥を特定でき、生態の研究に役立つという。

 この日は上司の方も同席され、新規事業の難しさを話された。このテーマは私の得意分野なので、いろいろな事例をまじえながら、「要はトップが、カネ食い虫と社内で批判されるなかで、どこまで持続してやりきることができるかにかかっているので、がんばってほしい」と、激励して別れた。


●7月3日(火)古道を歩く

 生駒古道会のトレッキングに初参加した。いわゆるハイキングと違って、ケモノ道のようなところを歩く。リーダーのSさんが熟知しているので、ついていけばよい。

 この日、約30名ほどが近鉄・生駒駅に集合。高校時代の山岳部仲間、K君も来たので、初参加であったが、わいわいしゃべりながら、楽しく歩いた。コースは滝寺歩道〜生駒山上〜紫陽花園〜枚岡駅の10Kmである。
 途中、紫陽花園で小雨が降った以外は、なんとかもった。さすがに、一人では歩けない道だった。

 参加者の中に中国から最近、帰ってきた人がいた。話を聞くと、医療機器の販売で中国に行った経験があって、定年後、日本語教師として上海に渡ったという。なぜかというと、肺がんになり、血糖値も600という死の直前までいった。健康を取り戻したので一念発起、中国の若者に日本語を教える決意をしたそうだ。
 「教え子が日本の有力企業に就職でき、大変、喜ばれています。中国の3倍以上の収入です。」と、生きがいを覚えると話していた。すばらしい人生を送っている。

 中国でも山登りをしているそうで、写真を見せてくれた。この人の糖尿はポカリスエットトの飲みすぎだそうだ。また、他の参加者からは、登山道具の通信販売の店「ムッシュ」(インターネットで検索できる)が、安くて品物がいいと教えてくれた。見知らぬ人たちと行くと、違った世界を垣間見れるからいい。

 3日未明、K君から「同じ山岳部仲間のH君が2年前、胃がんから肺がんに転移、亡くなった」というメールがはいった。H君とは5年ほど前、彼の姉さんが嫁いでいる先が、志賀高原の横手ヒュッテ(パンがおいしい、山頂の山小屋)だからと、一緒に行ったのが最後であった。勤務先の電話しか聞いていなかったので、K君が消息を聞くため、山小屋に電話を入れたところ、妹さんからの伝言であった。

 また一人、友人が逝った。人生は無情である。(合掌)



●7月2日(月)屋敷神の「声」

 続けて、屋敷神(女房)の話を書くのは気が引けるが、許してもらいたい。毎日のように、箸の上げ下ろしから、普段着の服装まで事細かく指示するので、「ええかげんにしろ」と、声をあげることもある。もっとも、そんなことは、どこ吹く風と、時間の経過とともに、またぞろぶり返す。

 実はカメラのほかに、エッセイの執筆にもはまっている。その一つが朝日新聞の「ひととき」と「声」である。担当者も名前を知っている様子である。「ひととき」は日に1本の掲載だから、競争率は高いようだ。「声」は数本の掲載だから掲載確率は高い。
 こうした趣味に打ち込んでもらっていると、それだけ屋敷神の声を聞かずに済む。(7月3日に書く)

 
【7月3日、朝日新聞朝刊】

●7月1日(日)コンテストに初入選

 定年後、ほとんど毎日、屋敷神(女房)と顔を合わせる。そんな女房が愚痴を言わないで、過ごせる日はそう多くない。いま、彼女は朝日新聞が協力している全日本写真連盟の支部にこの3月から加入、写真にはまっている。支部の指導員が熱心なこともあって、相当な時間をその活動に当てている。

 先日、岡山から名古屋を含んだ地域の同連盟の女性カメラマン約50名による「普段着の舞妓を写しませんか」というコンテストが京都であった。それぞれ、これはという作品5点を朝日新聞京都総局で開かれた審査会場に持ち寄って、専門の先生の講評を受けて、最後に優秀作品11点が選ばれた。

 女房は同じ支部の上級女性の作品持参も頼まれて、持って行った。初めから、入選はあきらめて、ただ講評を聞きたさに出かけた。コンテストの作品講評が聞ける機会は少ないという。同僚の作品入賞は確実視されていた。事前に、支部の指導者が推薦した作品2点をA4に引き伸ばし、付け足しにせっかくの機会だからと、参考に焼き付けていた2L版、3枚を加えた。

 審査員の先生4人が全員の作品を講評したあと、1人1点を選び、審査員だけで優秀賞を選ぶ作業に入り、参加者は別室で固唾をのんで見守っていた。やがて、壁に11点の作品が張り出され、表彰式が行われた。
果たせるかな、11点に彼女が属している支部の2人の作品が選ばれた。しかも女房はだめ元で出した2L版の作品(全体の中で2L版は2点のみ、残りはA4であった)が選ばれていた。同じ支部からの快挙に指導者は喜んだそうだ。

 いよいよ、写真にはまっていきそうである。40年間も写真をやってきた小生は、コンテスト写真の違いを痛感しながらも、いつかは、すごいコンテストで入選してやると、家庭内での競争に闘志をもやす決意をしている。


【茶目っ気さが出ているので選ばれたそうだ。他に同じ構図の写真はなかった。】